光を生きる勇気、選ぶ勇気

 

今日は久しぶりに一人の時間が取れて、朝からマッサージを受けて身体をほぐしてもらい、今はカフェでゆっくりと珈琲を飲んでパンを食べています☕️🥖

 

考えてみれば、一人の時間なんていつぶりかなぁ

 

引っ越す前に近所の美容院に行った時以来かな

 

こうやって一人でゆっくりとお店で食事を摂るのはもう本当に久しぶりで、

中断せずに、何かを最後まで食べられるってすごいことだと思う👏笑

 

家族三人でご飯を食べたり、息子と二人でお家で食べるのも、それはそれで賑やかで楽しいんだけど

 

でも、食べ物をゆっくり味わったり、何にも気を取られずにただその空間にくつろぐって、一人じゃないとやっぱり難しいから、リフレッシュする時間は必要だー!!!!と心底思います

 

それも夫が見ていてくれるから安心して出掛けられるわけで😌

今日はその優しさに頼ってもう少しゆっくりしようー

 

 

先週の土日にも、夫に、「今日マッサージ行ってきなよ」と言われていたのです。

 

でもその時は、いいよいいよってはぐらかしちゃって

夫だって疲れてるはずなのに、自分だけ時間をもらうのはなんか悪いような気がしてしまって

 

ありがとう~☆って受け取ればいいのに、それがなかなか私は上手く受け取れないんですね、いつも

 

相手に悪いって気持ちもあるけど(そもそも私が悪いって思ったら、夫自身の時間が欲しい時も快く送り出せないし、夫も自分の時間欲しいとか言いづらくなるよね😅)

 

それと同時に、

ゆっくりしちゃったら、自分の時間をくつろいでしまったら、また頑張らなきゃいけないって、自分で自分を追い込んでしまうような気がして

それが怖かったのかなぁ

 

 

 

最近よく思うのは、光が当てられる方を、自分が選ぶのが私はまだまだ怖くて難しいなぁって

 

夫が差し出してくれる優しさや、真っ直ぐな愛を、そのまんま受け取るのが怖くて、いつも変に疑心暗鬼になってしまう

 

それだけではなくて、例えば地域の子育て支援の場だったり、リアルタイムで言うとさっき受けたマッサージの整体師さんだったり

関わる人達の優しさが、どうしても怖くなってしまう

 

そこをもう少し深く掘っていくと、「本当の私を知ったらみんなどうせ嫌いになるよ」って思いが根底にあって

 

過去の色んな記憶や、自分の思い込みが、こういう思いに至ってると思うんだけど、

もうそろそろそこを越えていかなきゃいけないなぁ~って最近よく思うんですよね

 

越えて、眩しいけれど、怖いけれど、光る方を選んでいきたいな

そういう自分で在りたいなって

これは本当に勇気が必要でね、怖いけどオリャーって(笑)

 

愛されていい、差し出される優しさを、ただ受け取っていい

 

その実践や体験を積み重ねるのみだと思うのです

 

 

 

 

私はずっとずっと、両親や兄弟に対して、怒りとかわだかまりのようなモヤモヤを抱えて生きてきて

 

実家にいる時もそうだったし、結婚してからはより一層、怒りや悔しさ悲しさを強く感じるようになってしまい、そこと向き合うことがすごく辛くて

 

「もっと分かって欲しかった」

「もっと話を聞いて欲しかった」

「もっと心配されたかった」

 

こんな気持ちがたくさん出てくるんですね

 

兄が親と色々あったので、私は親を助けなきゃ、私は真っ当に普通に生きなきゃ(普通ってなんやねんって話なんだけど😅)

親が兄に、「普通に生きて欲しいだけなのに」ってよく言ってて、私はそう思っちゃったんですね

 

自分が仕事とか頑張ったり、体調悪くても無理したり、なんでも一人でやろうとしたり

そうやって頑張って真っ当に生きる(と思い込んでた)ことで、親を安心させたかった

 

親がよく、「自分達、子育てで何か間違っちゃったかな…」って不安になってたから、私はそう思わせたくないって必死に色々頑張っちゃったんですね~

 

 

 

でも夫と出会ったことがきっかけで、むくむくと元の自分が出てきたというか。

夫の優しさを知る度に、親に対して心の奥で感じていた色々な気持ちが解かれたんですよね。(これも今思えば完璧なプロセス)

 

そして結婚して、安心して毎日暮らすようなったことで、どんどん今までの無理がきかなくなって、蓋をされて沈殿された感情、消化されてない感情達が、実家にいた頃よりももっと、どどどーっと出てきて、怒りや悲しみを強く抱くようになってしまって

 

そことひたすら向き合って、でもなかなか赦すことができなくてずっと悩んでいたんです。

本当に数ヶ月前まで

 

でもこの頃ようやく、抜けていったっていうか

 

親が自分にしてくれた方を見ようって、光の方に焦点を当てるように、そこが自然に少しずつできるようになった

 

そうしてたら、こんなにも私は愛されていたかもしれないって思えたんですよね

 

私が見ようとしていなかった愛にもたくさん気が付いた

 

というか、そう思わざるを得なくなるような出来事が起きたり

不思議なんですけどね

 

被害者でいることをやめて、勇気はいったけど、光の方に焦点を当てた。

多分そのギフトとして、起こった出来事なのだと感じます🎁

 

 

 

 

だから何が言いたいのかと言うと(笑)

 

光の方を生きるほうが、人は怖いと思うんですよね

 

自分は愛されていないと思ったりとか、上手くいかないことを誰かや何かのせいにしたりするよりも、

光の方、というのはつまり、与えられていたことを見たり、自分は愛されている事実を見ようとしたりだとか、変に疑ったりしないで相手の優しさをそのまま受け取ることとか

 

そっちを選ぶことの方が、よっぽど難しくて勇気がいるのかもしれないなぁと思った(少なくとも私はそうでした)

 

 

最近ようやくそう思うことができて、でもずっと光る方をどうしても選べない辛さみたいなのもあったし、そっちを選べないからダメだとかではないし

 

どうしたって湧き上がってくる辛い悲しい怒りみたいなネガティブと向き合うのは、やっぱり人間しんどいんですよ

 

でも自分のために、心で何か引っ掛かるものをちゃんと見て、向き合うことを積み重ねた先には、私のように自然と力まずに光る方を見てみようとかなとか、もしかしたら愛されてたのかもなとか、そういう自分が突然ひょこっと顔を出すかもしれない

 

すぐにそう思えなくて当たり前だし、それで大丈夫で、だから今この瞬間は、どういう気持ちを抱いてもOKなんですよね🙆‍♀️

無理してゆるそうとかできないもんね

 

私もこんなこと書いてるけど、未だに家族に対しては何かの拍子でネガティブな気持ちを抱いてしまうことよくありますし(^_^;)

(この記事途中で下書き保存して、帰ってから夕方にまた親のこと話してたらまた色々吹き出てきて夫の前で泣いたし笑)

 

 

大切なのは、

自分がどう在りたいのか?

自分がどういう世界に居たいのか?

 

を意識的に自分に問い続けることなのかな

 

綺麗事に聞こえちゃうかもしれないけれど、やっぱり在り方とかも選ぶのは自分次第だし、自分の人生は自分が責任を取っていかないといけないんだと思います

 

私自身、光の方にもっと焦点を当てて生きていきたいと、そして優しい世界で生きていきたいと強く思っているので、自戒を込めて今日は書いてみました

 

本当はね、心の奥底ではわかってるんだよね

こういう風に生きたいと、生きていかなくちゃと

 

自分の世界を優しい世界にしたい

子供が生まれて、より一層そういう気持ちが強くなった

子供に教えてあげたい

この世界は優しいんだよって

 

そのためには大人が、自分の世界に、自分の生き方に誇りを持っていかなくてはいけないと思った

 

だから自分のためにも、愛する人達のためにも、自分自身と向き合うことを疎かにしたくないんだ

 

そんなことを思いました🍀

 

ちょっとまとまりないけど💦

今日はこのへんで!

また書きます~