鏡張りの自分

 

自意識過剰

 

多分、幼稚園くらいの頃から、客観的に自分を見ていて、周りから自分はどう見られているか、どう思われているか

 

そんなことを気にして生きて来た気がする

 

 

お友達が、例えばお母さんに素直に甘えたり、嫌だと感じることに対して素直に怒ったり、

そんなふうに無邪気で堂々として、生き生きしているのが羨ましくて

 

自分はどうしていつも起こることを色々先回りして頭で考えて、こうなったらこう対処しようとか、こう振舞おうとか考えちゃうんだろうって

頭で色々考えることが癖になってて、常に人の顔色伺って、

 

なんかね、小学校3年生の時にもうすでに疲れてて(笑)

学校を一週間くらいお休みして、心のモヤモヤ💭を、自分の生きづらさを、どう扱っていいのかわからず、悩んでいたんだよね

 

 

もちろん誰にもそんなこと話せないし、大人の前では子供っぽくいようとか思ってて、

今思えばかわいそうだったなって、大人になった自分がとことん付き合うよって思うけどさ

 

きっとこの世界には、そんな私みたいな子供、たくさんいるのかも

 

 

大人にった今も、(大人になったって言うか、ただ年齢重ねてアラサーの現在はという意味で)

 

その自意識過剰の癖みたいなのがずっとあって

 

この前夫にもそれを言われて

 

「客観的に自分がどう映るかを気にしてるように見える」って

 

言われた時、すごく心が痛くて

ピンポイントでグサッと来て😅

 

その時は違うとかごちゃごちゃ言い返したと思うけど、本当にその通りで

 

 

なんか何してても自意識過剰になっちゃう

 

例えばご飯作るにしても

夫は簡単なものでいいよって言ってるのに

凝ったもの作ったり、お肉とお魚バランスよくとか

 

それって自分がそうしたくてやってて、一生懸命家族のことを考えてる“私”がまず来ちゃう

 

 

もちろんそれで色んなお料理を作って自分がまず楽しめていればいいんだけど、私の場合は違くて

 

なんかこう…良い母であろう、良い妻であろうって意識がまずあって

 

夫がくれる言葉を全然見ることができてなくて

色んなレパートリー作っちゃう“私!!”なんだよね😅

 

 

お料理だけじゃない

 

なんか本当に色んな場面でそう

 

多々あり過ぎて、もう書くのも恥ずかしいから省略するけれど

 

あ、でも最近本当に落ち込んだのは

 

この前とある方のオンラインセッションっていうのを受けて

 

とても大好きな方で、もう6年くらいその人のブログを読んでいるんだけど、初めて画面上でお話する機会があって

 

もう私そのお方のお顔を見た途端に緊張して何も話せなくて(^_^;)

 

 

元々自分の話をするの超超苦手で(夫には話せる)

 

“どうせ私の話なんか誰も興味無いしつまんないよ?”

って思いがあるんですよ、自分の中に(^_^;)

悲しいけれど

 

あと幼少期から吃音があって、スムーズに話すことが難しくて

いつもとにかく上手く話せるようにとか、そんな意識が染み付いちゃってるから、余計に言葉は出づらくなります

 

だからいつもそんな気持ちが根底にあるから、聞く側に徹する

なんか良い人の振りして、一生懸命聴いてる振りして、その場をやり過ごして

でも大してちゃんと聞いてなくて

 

吃音が出たらどう思われるかとにかく怖い

普通に見られたいから、出にくい言葉は言わない

 

そうやって思ってきたから、人と話すの時、その意識がまずあるからすごーーく心を消耗する

 

でもね、なんかもうそういうのやめたいなって

 

もっと心を開いて、愛を持って、どう思われてもいいから人とコミュニケーション取りたいって、最近思い始めてて

 

だから怖かったけどセッションをお願いして

 

でも始まったらまたいつもの自意識過剰発動しちゃって、

もうね、ひたすら

 

【自分が相手からどう思われてるか】

【普通の人、一般的な人と見られたい】

【良い人と見られたい】

【上手に喋りたい】

 

これらがどーんと、そのセッション中に出ちゃってね、もう散々で終わったあとかなりかなり凹んで

 

相手の方はずっと真剣に耳を傾けてくれていてそれはもう本当にありがたくて

 

そのセッションの内容よりも、自分がどう見られているかばかり気にしちゃって本当に恥ずかしかった

 

 

でももうね、またそんな自分を責めてとか反省してとか、もうやってる暇ないと思って

 

だったらもうこのどうしたって上手くできない自分をゆるして、抱きしめて、その自意識過剰になってる自分を、鏡張りの世界を生きてる自分を目を逸らさずに認めて(見留めて)

 

 

 

 

もっと人を信頼して、裸の自分をさらけ出して、差し出して生きていこうって思いました

 

それはとてもとても怖いし、勇気もいるけれど、もう自分を生きたいんだよ私は

 

そうやって内側からすごく叫ぶ声が聞こえてる

 

 

この叫びは心からの自分の願いであり、望みであるんだよねきっと。

 

 

 

また書きます

 

おわり