20代の生きづらかった自分に言いたいこと
そのまま好きなこと突き詰めたままで大丈夫だよ!
20代に聴いてた音楽に今も救われているから
20歳になって周りの友達みたいに全然エンジョイできなくて、遊んだり派手にお酒を飲んだりもあんまりしなくて、興味がなくて、なんだか自分って変なのかとかすごく思ってた
唯一高校時代の友達とライブへ行ったりもしてて邦楽のフェスによく行ってたけど正直あんまりよく曲が分からなくて笑、モッシュとか嫌いだから笑、静かに聴いていたいタイプだけど、でもそれはそれで思い出で楽しかったなー
一人で音楽の世界にどっぷり浸かることが、それだけが生き甲斐だった
2013年の5月に武道館でシガーロスを見た日はずっと忘れないと思う
半休を取って東西線で九段下まで行って夕方に着いて、武道館までのあの道の光景は今でも覚えてる
夕暮れ時のオレンジの光がとってもきれいだった
ライブも本当に美しくて目が点になって、帰りはずっと興奮してたわ
懐かしいなぁー
あの時から少しずつ何かが変わって、新作のクウェイカーを買って早朝の東京駅のカフェで朝ごはんを食べながら聴いてた時にアイスランドへ行こうと決めた笑(2曲目のHrafntinnaを聴いた瞬間全身に鳥肌が立ってその時に決めたの覚えてるわ)
大げさだけど、もっと世界を見たくて、拡めたいと思ってた
知りたいことや見たいものがたくさんあった
この人達はどういう環境の中で音楽を作ってるんだろうと、どうしたらこんなに美しい音楽が作れるのか。それが知りたかった
本当に若い時に聴いてた音楽って宝物だと思う
今はなかなか開拓する時間も、音楽に浸る時間もないから余計にそう思う
聴きながらよく泣いてた。泣
こんなにも自分にハマる心地よい音楽が存在するのかと一人でよく感動してた😂
生で見たくて渋谷と恵比寿でライブも行ったな
どっちも寒い日だったの覚えてる
モグワイは夏の暑い日によく聴いてた
アルバムはROCK ACTIONが特に好き
穏やかで美しくて気だるい雰囲気がたまらなくて、複雑な気持ちを抱えてる時に聴きながらよく泣いてたの思い出す笑
今でも聴くと泣いちゃうな
Bjorkはアルバムどれも好き
特に思い出深いのはヴェスパタイン。雪が降ると必ず聴く
もうヴェスパタインは全曲好き。hidden place、sun in my mouth、harm of will、frostiが特に好き
2014年に大雪が降った時も聴いてた
聴くだけであの日をすぐ思い出せるし切なくなる
あれはアイスランドに行く直前の日だったかな
あとRadioheadもよく聴いてた
How To Disappear Completelyが好きで、というかこの曲とリンクする思い出があって、今も聴くだけで22歳の8月に戻れるもん泣
白いブラウスとネイビーのスカート
暑い日だった
本当に思い出ってなんでこんなに切なく映るのか( т т )
音楽ってその時の自分とか思い出とか瞬時に思い出せるよね。
あと私にとっては誰にも言えない気持ちとか感情とか言葉にできないことも全て包み込んでくれるような存在
最近はSlowdive、 José González、Albert Hammond Jr、Cat Powerが大好きで、音楽聴きたくなる時はよく聴いてる
特にSlowdiveはもうなんていうか…めちゃくちゃ刺さって、切なくてドキドキして儚くて、
昔好きだった男の子をふと思い出す時みたいな気持ちになる(うーんやっぱりなんかちょっと違うかもw難しいw)
生きててこんなに切なくて幻想的な音楽は初めて
ヴォーカルが男女というのもよりそう感じさせるのかな
40days聴くと、昔二人で毎週末都内の色々なところに行ってたことを思い出す
地下鉄の電車が来る時の風の匂いとか、手を繋いで街を歩く二人の懐かしい絵が浮かんでくる
今はもうお互いに子育てとか仕事の日々でそんなこと出来ないから、懐かしく思えちゃう
もうなんか変なブログで恥ずかしいんだけど、最近育児家事しかしてなくて夫も忙しいこともあり大人ともあまり話してない状態で少し疲れ気味で笑、ふと20代の自分を思い出したのです
まるで現実から逃げるかのように笑
あの時私は周りの子のようにウェーイ!とかはじけることもあまりなく、複数人で飲み会に行っても次の日わんこの散歩があるからと必ず先に帰るちょっと空気の読めない人で、基本的に夜はあまり出歩きたくなく、朝の早起きが趣味みたいなちょっと変な若者っていうか😅
なんかそういうところがコンプレックスで、なんで自分ってこういう人間なんだろうと思ってた
音楽を聴いてる時が一番安らいで、新しい音楽を見つける度にワクワクして、Amazonで中古のCDを買ったり、ディスクユニオンにもたまに行って掘り出し物を見つけたり、手に入れたCDはiPodにせっせと取り込んでジャケットの画像も貼り付けて、一人でニヤニヤ作業する。それが楽しかったの笑
兄が音楽好きだったのもあって家にも名盤かたくさんあった
BjorkやRadioheadやrhcpは兄が持っていたものを借りてCDを取り込んでた
20代は悩みも多かった
自分の家族もコンプレックスで好きになれなかったし、自分のことも内面を掘り下げる度になんて嫌な奴なんだと落胆したり、付き合ってる時も呆れるくらいに自分が嫌になることばかりだった
でも音楽を聴いている時だけゆるされたような気持ちになった
寄り添ってくれているかのように優しく感じた
だから自分の世界にどっぷりと浸かってて、それが心地よい反面、現実では違う自分を演じてるというか。周りからはなるべく普通に、変に思われないようにとかそういう気持ちもあったと思う
でも今になって思うのは、その好きなことや自分の世界にどっぷりと浸かってくれたおかげで、34歳になった私がその時の音楽に救われる日もあって。あの時一生懸命生きてくれた自分にも救われている。
だからあなたは何の罪悪感も持たずそのまま好きなこと突き詰めていいんだよって20代(特に前半)の私に言ってあげたい
20代に聴いた音楽は宝物になる、なってる
ありがとうあの頃の自分って本当に今思う
やっぱり引っ張られる自分
師走に入り、クリスマスの準備や掃除で色々とやることが山積みなのに何も進みません😂
今日も寒かったけれど、息子とお散歩したり、近くの公園でご近所さんとたまたまばったりだったので一緒に遊んだり、あっという間に14時過ぎ
もうそろそろ昼寝から起こさなきゃなぁと思いつつ、でももうちょっと休憩したい自分がいて、葛藤中😅
タイトルの引っ張られてしまう件について
12月に入ってから夜ぐっすり寝られることが増えて、心も結構良い状態だったのだけれど、テレビから流れてくる訃報や悲惨な事件を耳にするともう本当に暗い気持ちになって無気力になる
特に最近は物騒な事件が本当に多くて
気持ちがマイナスな方へ引っ張られるので、あまりニュースは見ないように気を付けてるけど、どうしてもテレビを付けるタイミングとかで目に入ったり、県内や周りの県の事件とかだとつい気になってネットで見てしまったり
今回の事件はたまたまテレビで見てしまって、もう結構な衝撃で、怖いのに続報がつい気になってネットで見てしまって…
被害に遭われた方の御家族の心情は本当に想像を絶する
そして逆に加害者家族のことを考えると苦しいほど複雑な気持ちになるし、険しい道のりを歩むのだろうなと勝手に思ってしまう
あとは近くに住んでいる人は本当に怖いよね
私も最近は自宅に居て鍵をかけても怖くなることがよくあります
いざという時に家族を守れるのか
命を失うことってどういうことなのか
なぜ今、自分が生かされているのか
こんなことばかり最近考えてしまう
悲しいことばかりにフォーカスを当てて、考えても仕方ないことを一晩中とかずっと考えて、そこから抜け出すのにかなりの時間がかかってしまいます
改めて思うのは、あたりまえのことなど本当に1つもないということです
自分が今生きていること
夫や子供、自分の家族親戚、夫の家族親戚、友人知人が今こうして元気でいてくれていることは決してあたりまえではないこと
夫が毎日毎日、暑い日も寒い日も、仕事に行ってくれているおかげで生活できていること
温かいご飯やお風呂に入れること、布団でゆっくりと眠れること
子供がスクスクと育ってくれていること
今は日常に戦争がないこと
何一つとしてあたりまえではない
こうして書くと綺麗事とかね、改めて書いたのを読むとカッコつけてるなーとか自分でも思いそうになることもあるんですけど、でも事実として有難くて、あたりまえではないんですよね
そうやって日常に感謝しつつ、やっぱり起こることってコントロールできないこともあるから、でも何が起こっても私はしっかりと自分の人生を、命を全うして歩んでいきたいと心から思っています
やっぱり波があるけどね
いつもそう思えるわけではないけど、でも深いところではこの想いが軸にあると思ってて
引っ張られるけど、また自分と対話しながら、心の内を紙に書いたりワークをしながら心を磨いて、皆が元気で新しい年を迎えられたらいいな🙏と思います
まとまりないけど、もう息子を起こさなきゃ💦な時間なので失礼します!
無価値感、罪悪感と向き合う
私はとっても怖がりで
色んなことが不安で
一体何にそんなに怯えている?
自分の中に根強くある怖さ
目を閉じると湧き上がってくる不安感
突然誰かを失うかもしれないから
突然何か怖いことが起こるかもしれないから
だから、いま幸せを感じないことで、そのショックを少しでも小さくできるように
きっと幸せを感じたら、ショックも大きくなるから、常に不安を感じていなきゃ
想定内のことだったって思えるようにって
そんな想いが出てきた
あと、自分が誰かを不幸にしてしまうんじゃないかって、それがすごく怖くて
自分の存在に、なんかいつも自信が持てなくて
無価値感とか罪悪感とかがすごくあって
なんか自分の親を見ていても、二人ともそんなところがあるような気がするので、
今日は少し両親のことを書いてみようと思います
母は三人姉妹の末っ子で、私のおばあちゃんが母を授かった時、次こそは男の子!ってすごく期待されていたらしく、
家が農家だから跡継ぎが必要だ!みたいな時代だったこともあるのかな
そして母が産まれた時、周りは(祖父の両親とか)、また女か…ってがっかりしたらしく、今では笑い話だけれど
でもそれ自分だったら相当ショックだなって😣
おばあちゃん家に行くたびに、母の姉とかがその話をよくしていて、母はいつもあははーって笑ってるけど、でもいつもちょっと困った顔で笑っていて、結構傷付いてるんじゃないかなって思ってた
本当のことはわからないけれど
でも、なんとなく母は無価値感を持っているような、そしてそれは母自身は気付いていないけど、深いところで、無意識のところで根強くあるような気がする
父も罪悪感とか無価値感がやっぱりすごく強い人で、
父の父親(私のおじいちゃん)はとっても厳しい人で、元警察官だったんです
仕事をすごく頑張る人で、内部で表彰されたりもしたらしく、仕事においては優秀だったと聞いています
でも家庭内では、一人息子である父にとにかく厳しかったみたいで、何か悪いこと(祖父の常識の価値観の中での)をしたらご飯抜き!とか
職業的なこともあるのか、自分自身を相当厳しく律して生きていた人なのかなと思います
仕事の忙しさもあり、あまり家族で出掛けたりもしたことがなかったみたいで、
学生時代は親の仕事(警察官)の転勤の都合でいろんなところを転々として、常に転校生で、学校生活でも色々な苦労があったと言っていた
厳しい父親に、転校生ライフに、色々大変なことはたくさんあったけれど、お母さん(私のおばあちゃんですね)はとても優しい人だったみたいで
ご飯抜き!と父親から言われても、お母さんがこっそりご飯を持ってきてくれたり、
(私も絶対同じことすると思う。夫は息子にご飯抜きなんて絶対言わないけど。でも当時の時代は家長を敬え!家長の言うことは絶対だ!的な雰囲気がある家庭が多かったと思うから、こっそりと持っていくのも大変だったのかもしれない)
そんな優しい母親を、父が20歳のときに亡くしていて
20歳とかって若くて、自分の世界がどんどん広がって、親とか家族のことって優先順位がちょっと下がるというか(人によると思うけど私はそうだった😅)
自分のことに忙しい年齢っていうか、そんな時期だと思うんだけど
まさにその時に母親を亡くして、親孝行が出来なかったって、ずっとずっと今でも悔やんでいるんだよね
今でも毎朝、どんな時も自分の母親の写真を見て、お線香をあげて手を合わせて、目をつぶっていつも何か呟いていて
とても優しいお母さんで、大好きで、娘の私にも会わせたかったってたまに言っていて
自分の母を救えなかった後悔が、父の中に今でもあるんじゃないかと、父とする何気ない会話の中で、言葉を交わしているといつも私はそんなことを思っていて
祖母が亡くなった後、父は祖父と関係が上手くいかなくて、たくさん揉めて、深い溝ができて、ついには関わることをやめて。
それでも恐らく、恐らくね、父は幼い頃から心の中で祖父に認めてもらいたかったと思っていると思うんですよね
“お父さんのためにたくさん頑張った、もっと褒めて欲しかった、認めて欲しかった”
そして、
“お父さんを幸せにしたかった”
父は本当に努力家な人なんだけど、その原動力って、少なからず祖父の影響があると私は思っていて
真面目に頑張り過ぎる人って、頑張らないと自分には価値がないって想いがすごくあると思うんです
そのままの自分では愛されないって思っちゃったり(私もバリバリある😅)
自分は何か欠けていると思って、頑張って外側からその穴を一生懸命埋めようとしたりね
父と母を見ていると、やっぱりそんなところがあると思うし
私もそんな無価値感や罪悪感を感じている父や母を幸せにできない、救えない自分に、やっぱり同じく無価値感を感じてしまうところがあって
↑(この幸せにできない、救えない、ということ自体が大いなる勘違いなんですけどね😅そう頭ではわかってるけど、無意識のところではがっつりそう思い込んでる💦)
罪悪感や無価値感って、本人がよほどそこに意識的でない限り、連鎖するものなのだと思います
でもね、だからといって、自分の中にある罪悪感や無価値感は両親のせいだとか、だから自分は上手くいかなくても仕方ないとか、それもやっぱり違うなって私は思うし、両親は不幸だとも思わない
私の中にあるものは、私自身の課題であって、それを取り組むのも恐らく自分で決めてきている(と本気で思ってます)
そして今、こうして向き合っているのは何故だろう?と考えてみると、やっぱり子供の存在ができたからかもしれない
おじいちゃんおばあちゃん達の親がどんな人だったかは知らないけれど、きっと似たような想いを受け継いだり、何かしら満たされなかった幼少期があったり、色々なことが連鎖していったのかもしれない
息子には、自分は堂々と愛されていい存在なんだって思ってほしいし、自分のことを大好きになってほしい、親を救えなかったなんて思ってほしくないと、親の私は勝手に思ってしまうわけです
どうせ連鎖するなら、どうせ伝染するなら、喜びや幸せや、無条件で自分は愛されているっていう気持ちだったり、そっちの方が私は広げたいなって思う
そのためにはやっぱり、自分が自分を幸せにすることなんだよね
結局行き着くところはいつも同じというか
自分を幸せにするって、自分の心を自分の愛で満たしていくことなんだよね
私自身の人生のテーマでもあるんだと思います
このブログのタイトルでもあるように
子供にこうなって欲しいって思うなら、まずは自分がそうなって、背中で伝えていかなきゃと思います
とか言って、私、自分のこと大好きになれているかと聞かれるとまだまだ怪しいのですが(^_^;)
まずはそこを認めつつ、息子にはたくさん愛してるという言葉を伝えたい、たくさん抱きしめて、不器用だけど失敗する姿もいっぱい見せて行きたいなって思う
私の大好きなカウンセラーの根本裕幸先生の本の中で、罪悪感についての本があって、その本の中に確か「無価値感や罪悪感って愛に変換できる」みたいなことが書かれていて
罪悪感が強い人ほど、愛や優しさが強い人っていつも根本先生はブログとかでも言ってるんですけど、
愛と罪悪感って、それは裏表一体のコインのような物なんだなって
自分の行動に、何か罪悪感を感じたら、その裏に隠れている愛を見つけていこうと、それを本気でやっていこうと改めて🍀
そしてその姿勢は、その意識は、間違いなく自分を愛すること、自分を幸せにすることなんだと思う😌
子供が生まれてからより一層こういった想いが強くなっているのは事実なんですが、
でもさ、「これがあーしの使命じゃー!あーしがこの連鎖を止めるんじゃ!ふんがふんが💪😤🔥(鼻息荒く)」っていう想いから、そんな意識からだと、やっぱり苦しくてプレッシャーになって、「ねばならない」に縛られるのは本末転倒なので😅
そこはサレンダー(委ねる)の意識が大事で、
“私がどうであれ、この子は自分で自分を幸せにする力を持っている”
という信頼が持てるか。
そんな意識も持ちつつ、幸せを伝染していけたらいいなという想いのもと、罪悪感ではなく、愛をベースに物事を捉えることに集中したいなーと思います
さっきから10分おきくらいに息子がグズって起きてしまって、「かーちゃん、もういい加減休みーやー😓」と言われてるように感じるので、今日はこの辺で!
光を生きる勇気、選ぶ勇気
今日は久しぶりに一人の時間が取れて、朝からマッサージを受けて身体をほぐしてもらい、今はカフェでゆっくりと珈琲を飲んでパンを食べています☕️🥖
考えてみれば、一人の時間なんていつぶりかなぁ
引っ越す前に近所の美容院に行った時以来かな
こうやって一人でゆっくりとお店で食事を摂るのはもう本当に久しぶりで、
中断せずに、何かを最後まで食べられるってすごいことだと思う👏笑
家族三人でご飯を食べたり、息子と二人でお家で食べるのも、それはそれで賑やかで楽しいんだけど
でも、食べ物をゆっくり味わったり、何にも気を取られずにただその空間にくつろぐって、一人じゃないとやっぱり難しいから、リフレッシュする時間は必要だー!!!!と心底思います
それも夫が見ていてくれるから安心して出掛けられるわけで😌
今日はその優しさに頼ってもう少しゆっくりしようー
先週の土日にも、夫に、「今日マッサージ行ってきなよ」と言われていたのです。
でもその時は、いいよいいよってはぐらかしちゃって
夫だって疲れてるはずなのに、自分だけ時間をもらうのはなんか悪いような気がしてしまって
ありがとう~☆って受け取ればいいのに、それがなかなか私は上手く受け取れないんですね、いつも
相手に悪いって気持ちもあるけど(そもそも私が悪いって思ったら、夫自身の時間が欲しい時も快く送り出せないし、夫も自分の時間欲しいとか言いづらくなるよね😅)
それと同時に、
ゆっくりしちゃったら、自分の時間をくつろいでしまったら、また頑張らなきゃいけないって、自分で自分を追い込んでしまうような気がして
それが怖かったのかなぁ
最近よく思うのは、光が当てられる方を、自分が選ぶのが私はまだまだ怖くて難しいなぁって
夫が差し出してくれる優しさや、真っ直ぐな愛を、そのまんま受け取るのが怖くて、いつも変に疑心暗鬼になってしまう
それだけではなくて、例えば地域の子育て支援の場だったり、リアルタイムで言うとさっき受けたマッサージの整体師さんだったり
関わる人達の優しさが、どうしても怖くなってしまう
そこをもう少し深く掘っていくと、「本当の私を知ったらみんなどうせ嫌いになるよ」って思いが根底にあって
過去の色んな記憶や、自分の思い込みが、こういう思いに至ってると思うんだけど、
もうそろそろそこを越えていかなきゃいけないなぁ~って最近よく思うんですよね
越えて、眩しいけれど、怖いけれど、光る方を選んでいきたいな
そういう自分で在りたいなって
これは本当に勇気が必要でね、怖いけどオリャーって(笑)
愛されていい、差し出される優しさを、ただ受け取っていい
その実践や体験を積み重ねるのみだと思うのです
私はずっとずっと、両親や兄弟に対して、怒りとかわだかまりのようなモヤモヤを抱えて生きてきて
実家にいる時もそうだったし、結婚してからはより一層、怒りや悔しさ悲しさを強く感じるようになってしまい、そこと向き合うことがすごく辛くて
「もっと分かって欲しかった」
「もっと話を聞いて欲しかった」
「もっと心配されたかった」
こんな気持ちがたくさん出てくるんですね
兄が親と色々あったので、私は親を助けなきゃ、私は真っ当に普通に生きなきゃ(普通ってなんやねんって話なんだけど😅)
↑
親が兄に、「普通に生きて欲しいだけなのに」ってよく言ってて、私はそう思っちゃったんですね
自分が仕事とか頑張ったり、体調悪くても無理したり、なんでも一人でやろうとしたり
そうやって頑張って真っ当に生きる(と思い込んでた)ことで、親を安心させたかった
親がよく、「自分達、子育てで何か間違っちゃったかな…」って不安になってたから、私はそう思わせたくないって必死に色々頑張っちゃったんですね~
でも夫と出会ったことがきっかけで、むくむくと元の自分が出てきたというか。
夫の優しさを知る度に、親に対して心の奥で感じていた色々な気持ちが解かれたんですよね。(これも今思えば完璧なプロセス)
そして結婚して、安心して毎日暮らすようなったことで、どんどん今までの無理がきかなくなって、蓋をされて沈殿された感情、消化されてない感情達が、実家にいた頃よりももっと、どどどーっと出てきて、怒りや悲しみを強く抱くようになってしまって
そことひたすら向き合って、でもなかなか赦すことができなくてずっと悩んでいたんです。
本当に数ヶ月前まで
でもこの頃ようやく、抜けていったっていうか
親が自分にしてくれた方を見ようって、光の方に焦点を当てるように、そこが自然に少しずつできるようになった
そうしてたら、こんなにも私は愛されていたかもしれないって思えたんですよね
私が見ようとしていなかった愛にもたくさん気が付いた
というか、そう思わざるを得なくなるような出来事が起きたり
不思議なんですけどね
被害者でいることをやめて、勇気はいったけど、光の方に焦点を当てた。
多分そのギフトとして、起こった出来事なのだと感じます🎁
だから何が言いたいのかと言うと(笑)
光の方を生きるほうが、人は怖いと思うんですよね
自分は愛されていないと思ったりとか、上手くいかないことを誰かや何かのせいにしたりするよりも、
光の方、というのはつまり、与えられていたことを見たり、自分は愛されている事実を見ようとしたりだとか、変に疑ったりしないで相手の優しさをそのまま受け取ることとか
そっちを選ぶことの方が、よっぽど難しくて勇気がいるのかもしれないなぁと思った(少なくとも私はそうでした)
最近ようやくそう思うことができて、でもずっと光る方をどうしても選べない辛さみたいなのもあったし、そっちを選べないからダメだとかではないし
どうしたって湧き上がってくる辛い悲しい怒りみたいなネガティブと向き合うのは、やっぱり人間しんどいんですよ
でも自分のために、心で何か引っ掛かるものをちゃんと見て、向き合うことを積み重ねた先には、私のように自然と力まずに光る方を見てみようとかなとか、もしかしたら愛されてたのかもなとか、そういう自分が突然ひょこっと顔を出すかもしれない
すぐにそう思えなくて当たり前だし、それで大丈夫で、だから今この瞬間は、どういう気持ちを抱いてもOKなんですよね🙆♀️
無理してゆるそうとかできないもんね
私もこんなこと書いてるけど、未だに家族に対しては何かの拍子でネガティブな気持ちを抱いてしまうことよくありますし(^_^;)
(この記事途中で下書き保存して、帰ってから夕方にまた親のこと話してたらまた色々吹き出てきて夫の前で泣いたし笑)
大切なのは、
自分がどう在りたいのか?
自分がどういう世界に居たいのか?
を意識的に自分に問い続けることなのかな
綺麗事に聞こえちゃうかもしれないけれど、やっぱり在り方とかも選ぶのは自分次第だし、自分の人生は自分が責任を取っていかないといけないんだと思います
私自身、光の方にもっと焦点を当てて生きていきたいと、そして優しい世界で生きていきたいと強く思っているので、自戒を込めて今日は書いてみました
本当はね、心の奥底ではわかってるんだよね
こういう風に生きたいと、生きていかなくちゃと
自分の世界を優しい世界にしたい
子供が生まれて、より一層そういう気持ちが強くなった
子供に教えてあげたい
この世界は優しいんだよって
そのためには大人が、自分の世界に、自分の生き方に誇りを持っていかなくてはいけないと思った
だから自分のためにも、愛する人達のためにも、自分自身と向き合うことを疎かにしたくないんだ
そんなことを思いました🍀
ちょっとまとまりないけど💦
今日はこのへんで!
また書きます~
子供からの愛
新しい土地に引っ越して早一ヶ月
少しずつだけど、生活も落ち着いてきました😌(あ、まだ免許証とクレカの住所変更してないこと今思い出したww全然まだやることありましたー😂)
ここ二ヶ月くらいはなんだかバタバタしていて、慌ただしくて、目の前にことに追われていた感じです
3月は息子のお誕生日で、誕生日当日に両家の両親も混じえてお祝いをすることになっていました
だが前々日に息子、初めての発熱🤒
と言ってもそんなに熱は高くなく、今思えば比較的穏やかだった気がする
小児科の先生曰く、普通の風邪ということで、誕生日会は延期
両親に連絡した時に、私の父も息子と同じタイミングで発熱していたことがわかり😣(その後、母にうつったらしい)
時節柄、みんな少し疲れていた頃だったのかな~と思いました。
幸い息子はわりとすぐに体調も回復。
誕生日当日は自宅で記念写真も撮って家族3人👨👩👦でお祝いできて、夫の両親から頂いたアンパンマンの車に乗りながらニコニコしているのを見た時、「ああ、これで良かったんだ☺️」となぜか納得して(?)ホッとした。
きっとこの日にお誕生日会をやっていたら、疲れてしまって、その後自宅で撮影会なんてとてもじゃないけど出来なかったなーと💦
なんていうか、わからないけど、
“不器用な私たち夫婦を(あ、夫はわりと器用かw)この子はちゃんとわかっているのかもなぁ”
“起こる出来事って完璧なのかもしれない”
と心がとても感じたんですよね。
そんなのこじつけだろって思われるかもしれないけど、なんか、心の深いところでそう感じたの。
そして二週間後、全員が体調バッチリの状態で無事にお誕生日会を催すことができました🎂
写真館でみんなで写真を撮って
美味しい食事も頂けて
両家で楽しくお話もできて
みんなで息子に「おめでとう」って言葉をたくさん贈って
すごく幸せな時間だったなぁって思いました😊🍀
会場も、結婚式を挙げたホテルで行ったから、すごく懐かしくてやっぱり素敵な空間で🥰
写真や食事の手配も結婚式の担当のプランナーさんがやってくれたんだけど、延期した時も色々と配慮してもらい💦
本当にありがたかったです🙏🏻
息子も両家の祖父母みんなに抱っこしてもらい嬉しそう・・・ではなかったけど笑(人見知りマン)、祖父母達は嬉しそうだった⭐️
無事にお誕生日会を終えた後は、あっという間に4月になり、引っ越しや新居での新生活、夫は新しい職場へと色々な変化があり、
(前職で夜遅くまで引き継ぎをしながら、引越しや新居の山のような手続きをやってくれた夫が一番大変だったと思う💦)
新しい環境と、春の寒暖差、疲労など、疲れが爆発したのかGW入る前に息子が高熱を出して突発性発疹に罹り、その後順番にみんなダウンしてしまって大変だった😅
なかなか下がらなかった息子の高熱
辛そうで夜中泣き叫ぶ姿に思わず動揺して掛けた#8000📞
看護師さんか医師さんの落ち着いた声に少しホッとして、でも全然泣き止まなくて、抱っこしながら朝までそのまま寝かせたり
小児科に行った時は激混みで、長い待ち時間に体調も辛かったのか泣かれて焦ったり
発熱から4日くらい経って、少し良くなったかな~と思ったら、その夜また40℃の熱が出たり・・・
一番辛いのは息子だけど、夫婦揃って看病疲れでフラフラになり、ちょっと喧嘩もしたりで精神的にも辛かったです😭
GWが終わり、息子もようやく元気になってくれて、前よりも色々とパワーアップしたような気がしており・・・
やんちゃ度合いっていうか、体力もついてきたし、ヒヤッとする場面も増えて、自分の思い通りにいかないとバンザイしながらギャン泣きしたり癇癪起こしたり
なんか、ママの思い通りにはさせない!って感じが伝わってくるww😅
私もGWの疲れもまだ残っているのか、そんな息子に対応しきれない時があって。
笑顔になれなくて、もう!😩ってなって、日中息子と二人きりで家に居るのが辛いと感じる瞬間が増えて
夫はまだ慣れない職場で疲れてるはずなのに、仕事から帰宅してからも全力で相手をしてくれて、どんな息子にも「かわいい~🥰」って言葉を伝えていて、本当にすごいなって思って。
私は全然そんな余裕なくて、1秒でも早く自分の時間が欲しくなってしまって
なんかそんな自分酷いよなぁとか、息子かわいそうだなぁって、自分は優しくないなぁってすごく自分責めしちゃって
そんな感じで子育てに少し行き詰まってしまって二人でいるのしんどくなって、近所の児童館に息子と遊びに行ったんです。
そこがすごく良いところで。
おもちゃもたくさんあって、スタッフの先生たちも子供達と全力で遊んでくれていて
私もすごくリフレッシュできて気分転換ができて。(人見知りなので行くまでは緊張する💦)
先生たちは、子供達と遊んでくれるだけでなく、ママさん達の話にも耳を傾けてくれたり、少しでも子育ての気分転換になれるようにっていう想いでやられているんだなっていうのが伝わってくる☀️
優しい居場所が出来たなぁって思って嬉しいです☺️
もし息子の最近のやんちゃや、イヤイヤがなくて、しんどさもなかったとしたら、こんなに引っ越してきて早々に利用していなかったかも💦(夫も一緒に一度行ったけど、平日に息子と二人で行くのは緊張して少し抵抗があったから😅)
なんだかそんな経緯を考えると、息子から、
「ママ、もっと周りを頼っていいんだよ」
「もっと助けてもらっていいんだよ」
って言われているかのようで。
人を頼ることがすごく苦手だから、そんな私を見兼ねて息子が助けてくれているのかもしれないなぁって思って。
ママが行動せざるを得ないように。
頼らざるを得ない状況を作ってくれたのかもしれません🍀
たとえそういう意図がないとしても、実際に重い腰を動かせたのは息子のおかげで、そして児童館という場所で気分転換ができて助けられたのは事実だから😌
これは息子からの大きな愛だと思う🌟
あとね、私すごくせっかちだし、何かと効率良く!とか結構考えちゃう人間だと自分で自覚しているのだけど、
息子はマイペースっていうか、体の発達とか結構ゆっくり目なのかな?って
今1歳2ヶ月だけど、まだ歩かずにハイハイだし、ずり這いし出すのもすごく遅くて、9ヶ月くらいにようやくして、大丈夫かな!?って心配だったし
でもゆっくりだけど確実に日に日に成長しているのを実感すると、ああ、私は急ぎすぎてるかも💦って思わされることがよくある
無意識に事をコントロールしようとしていたり、
流れを信頼できずに、自分がなんとかしなきゃって無理やりどうにかしようとしたり
そんな流れに逆らおうとする癖が、まだまだ私の中にあります
でも息子を見ていると、
「ママ、ゆっくりで大丈夫なんだよ
焦らないで流れに身を委ねて大丈夫なんだよ」
って言われているようでね。

(すやすやお昼寝する息子)
なんだろう
私の中で、昇華して、手放していかなければいけない部分を、息子が教えてくれて手助けしてくれているような気がして、
本当そんな気がしてしょうがなくて。
本当によく、こんな不器用で凹ばかりの私の所へ来てくれたなぁって思う💦
ありがとう😊🍀
日々沢山の愛をありがとう💞
GW明けの一週間
お疲れ様でした!
目の前の喜びにくつろごう
昨日静かに一人で思ったこと
優しい夫がいて、可愛い息子がいて、もうそれだけで本当に幸せで、その喜びにくつろいでもいいんだということ
2人がいて「ああ本当幸せだな~」と思えば、心のどこかでは、
「こんな幸せ続くはずがない」
「こんなゆったりとしていいはずがない、他のママはみんな働いて仕事と育児を両立して忙しくて汗水垂らして頑張ってる」
「子供はいつか親のことなんて鬱陶しくなっていく」
のような声がめちゃくちゃ聞こえてきて、気分がしゅんとなっちゃってね(._.`)
今の幸せに甘んじてはいけないと、どこかで喜びを感じることにブレーキをかけてしまう私
母親とは忙しいもの、頑張るもの、大変なものだー!!!ってどうしても思ってしまうことがあるけど(実際大変だけど汗)
でもたまにすごくそう思っていたい自分がいるし、
何かしていないとダメだとか、社会的に何も生み出せていない私はちっぽけだとか
だから私、育児こんなに頑張ってるよって
そこをすごく認められたい自分がいて
自分から母であることを取ったら何もなくなるって恐怖がきっとあって
その外から見える形に依存してるなって自分が自分に感じることがよくあります
でもね昨日はそのいつもの悪魔の声みたいなもの(本当は悪魔ではないし、大切な心の声😊)を感じつつも、「こうやってずっと喜びたかったんだよね」って自分をわかってあげた
そしたら嬉しくて、すごく心が穏やかに晴れた日みたいなポカポカ~☀️ってなって😌
もうねこれは練習なんだよね
今までずっとそこ(喜びを感じることに)にブレーキをかけて「でもこの後不幸になるよ」とか色んな声を採用してきたから(^_^;)
喜びを全身で感じること
正直に心を開いて生きること
勇気を出してやりたいことはやってみること
これらは自分の人生で本当に大切にしたいです
そんなポカポカ陽気☺️🔆な心と裏腹に今日は寝不足のせいかで気分が降下してますが💦
WiFiの工事👷♂️もうまくいかず
息子ちゃんにもなんだか余裕を持って接してあげられず
😩💨←こんな顔になってたけど今少しお昼寝中👦💤で母も少し休めてます
でももう少しだけ時間をー!🙏笑
これからおにぎりを食べて、息子が起きたらご飯食べさせて、午後も無理せず過ごそうと思います。
鏡張りの自分
自意識過剰
多分、幼稚園くらいの頃から、客観的に自分を見ていて、周りから自分はどう見られているか、どう思われているか
そんなことを気にして生きて来た気がする
お友達が、例えばお母さんに素直に甘えたり、嫌だと感じることに対して素直に怒ったり、
そんなふうに無邪気で堂々として、生き生きしているのが羨ましくて
自分はどうしていつも起こることを色々先回りして頭で考えて、こうなったらこう対処しようとか、こう振舞おうとか考えちゃうんだろうって
頭で色々考えることが癖になってて、常に人の顔色伺って、
なんかね、小学校3年生の時にもうすでに疲れてて(笑)
学校を一週間くらいお休みして、心のモヤモヤ💭を、自分の生きづらさを、どう扱っていいのかわからず、悩んでいたんだよね
もちろん誰にもそんなこと話せないし、大人の前では子供っぽくいようとか思ってて、
今思えばかわいそうだったなって、大人になった自分がとことん付き合うよって思うけどさ
きっとこの世界には、そんな私みたいな子供、たくさんいるのかも
大人にった今も、(大人になったって言うか、ただ年齢重ねてアラサーの現在はという意味で)
その自意識過剰の癖みたいなのがずっとあって
この前夫にもそれを言われて
「客観的に自分がどう映るかを気にしてるように見える」って
言われた時、すごく心が痛くて
ピンポイントでグサッと来て😅
その時は違うとかごちゃごちゃ言い返したと思うけど、本当にその通りで
なんか何してても自意識過剰になっちゃう
例えばご飯作るにしても
夫は簡単なものでいいよって言ってるのに
凝ったもの作ったり、お肉とお魚バランスよくとか
それって自分がそうしたくてやってて、一生懸命家族のことを考えてる“私”がまず来ちゃう
もちろんそれで色んなお料理を作って自分がまず楽しめていればいいんだけど、私の場合は違くて
なんかこう…良い母であろう、良い妻であろうって意識がまずあって
夫がくれる言葉を全然見ることができてなくて
色んなレパートリー作っちゃう“私!!”なんだよね😅
お料理だけじゃない
なんか本当に色んな場面でそう
多々あり過ぎて、もう書くのも恥ずかしいから省略するけれど
あ、でも最近本当に落ち込んだのは
この前とある方のオンラインセッションっていうのを受けて
とても大好きな方で、もう6年くらいその人のブログを読んでいるんだけど、初めて画面上でお話する機会があって
もう私そのお方のお顔を見た途端に緊張して何も話せなくて(^_^;)
元々自分の話をするの超超苦手で(夫には話せる)
“どうせ私の話なんか誰も興味無いしつまんないよ?”
って思いがあるんですよ、自分の中に(^_^;)
悲しいけれど
あと幼少期から吃音があって、スムーズに話すことが難しくて
いつもとにかく上手く話せるようにとか、そんな意識が染み付いちゃってるから、余計に言葉は出づらくなります
だからいつもそんな気持ちが根底にあるから、聞く側に徹する
なんか良い人の振りして、一生懸命聴いてる振りして、その場をやり過ごして
でも大してちゃんと聞いてなくて
吃音が出たらどう思われるかとにかく怖い
普通に見られたいから、出にくい言葉は言わない
そうやって思ってきたから、人と話すの時、その意識がまずあるからすごーーく心を消耗する
でもね、なんかもうそういうのやめたいなって
もっと心を開いて、愛を持って、どう思われてもいいから人とコミュニケーション取りたいって、最近思い始めてて
だから怖かったけどセッションをお願いして
でも始まったらまたいつもの自意識過剰発動しちゃって、
もうね、ひたすら
【自分が相手からどう思われてるか】
【普通の人、一般的な人と見られたい】
【良い人と見られたい】
【上手に喋りたい】
これらがどーんと、そのセッション中に出ちゃってね、もう散々で終わったあとかなりかなり凹んで
相手の方はずっと真剣に耳を傾けてくれていてそれはもう本当にありがたくて
そのセッションの内容よりも、自分がどう見られているかばかり気にしちゃって本当に恥ずかしかった
でももうね、またそんな自分を責めてとか反省してとか、もうやってる暇ないと思って
だったらもうこのどうしたって上手くできない自分をゆるして、抱きしめて、その自意識過剰になってる自分を、鏡張りの世界を生きてる自分を目を逸らさずに認めて(見留めて)
もっと人を信頼して、裸の自分をさらけ出して、差し出して生きていこうって思いました
それはとてもとても怖いし、勇気もいるけれど、もう自分を生きたいんだよ私は
そうやって内側からすごく叫ぶ声が聞こえてる
この叫びは心からの自分の願いであり、望みであるんだよねきっと。
また書きます
おわり