私はとっても怖がりで
色んなことが不安で
一体何にそんなに怯えている?
自分の中に根強くある怖さ
目を閉じると湧き上がってくる不安感
突然誰かを失うかもしれないから
突然何か怖いことが起こるかもしれないから
だから、いま幸せを感じないことで、そのショックを少しでも小さくできるように
きっと幸せを感じたら、ショックも大きくなるから、常に不安を感じていなきゃ
想定内のことだったって思えるようにって
そんな想いが出てきた
あと、自分が誰かを不幸にしてしまうんじゃないかって、それがすごく怖くて
自分の存在に、なんかいつも自信が持てなくて
無価値感とか罪悪感とかがすごくあって
なんか自分の親を見ていても、二人ともそんなところがあるような気がするので、
今日は少し両親のことを書いてみようと思います
母は三人姉妹の末っ子で、私のおばあちゃんが母を授かった時、次こそは男の子!ってすごく期待されていたらしく、
家が農家だから跡継ぎが必要だ!みたいな時代だったこともあるのかな
そして母が産まれた時、周りは(祖父の両親とか)、また女か…ってがっかりしたらしく、今では笑い話だけれど
でもそれ自分だったら相当ショックだなって😣
おばあちゃん家に行くたびに、母の姉とかがその話をよくしていて、母はいつもあははーって笑ってるけど、でもいつもちょっと困った顔で笑っていて、結構傷付いてるんじゃないかなって思ってた
本当のことはわからないけれど
でも、なんとなく母は無価値感を持っているような、そしてそれは母自身は気付いていないけど、深いところで、無意識のところで根強くあるような気がする
父も罪悪感とか無価値感がやっぱりすごく強い人で、
父の父親(私のおじいちゃん)はとっても厳しい人で、元警察官だったんです
仕事をすごく頑張る人で、内部で表彰されたりもしたらしく、仕事においては優秀だったと聞いています
でも家庭内では、一人息子である父にとにかく厳しかったみたいで、何か悪いこと(祖父の常識の価値観の中での)をしたらご飯抜き!とか
職業的なこともあるのか、自分自身を相当厳しく律して生きていた人なのかなと思います
仕事の忙しさもあり、あまり家族で出掛けたりもしたことがなかったみたいで、
学生時代は親の仕事(警察官)の転勤の都合でいろんなところを転々として、常に転校生で、学校生活でも色々な苦労があったと言っていた
厳しい父親に、転校生ライフに、色々大変なことはたくさんあったけれど、お母さん(私のおばあちゃんですね)はとても優しい人だったみたいで
ご飯抜き!と父親から言われても、お母さんがこっそりご飯を持ってきてくれたり、
(私も絶対同じことすると思う。夫は息子にご飯抜きなんて絶対言わないけど。でも当時の時代は家長を敬え!家長の言うことは絶対だ!的な雰囲気がある家庭が多かったと思うから、こっそりと持っていくのも大変だったのかもしれない)
そんな優しい母親を、父が20歳のときに亡くしていて
20歳とかって若くて、自分の世界がどんどん広がって、親とか家族のことって優先順位がちょっと下がるというか(人によると思うけど私はそうだった😅)
自分のことに忙しい年齢っていうか、そんな時期だと思うんだけど
まさにその時に母親を亡くして、親孝行が出来なかったって、ずっとずっと今でも悔やんでいるんだよね
今でも毎朝、どんな時も自分の母親の写真を見て、お線香をあげて手を合わせて、目をつぶっていつも何か呟いていて
とても優しいお母さんで、大好きで、娘の私にも会わせたかったってたまに言っていて
自分の母を救えなかった後悔が、父の中に今でもあるんじゃないかと、父とする何気ない会話の中で、言葉を交わしているといつも私はそんなことを思っていて
祖母が亡くなった後、父は祖父と関係が上手くいかなくて、たくさん揉めて、深い溝ができて、ついには関わることをやめて。
それでも恐らく、恐らくね、父は幼い頃から心の中で祖父に認めてもらいたかったと思っていると思うんですよね
“お父さんのためにたくさん頑張った、もっと褒めて欲しかった、認めて欲しかった”
そして、
“お父さんを幸せにしたかった”
父は本当に努力家な人なんだけど、その原動力って、少なからず祖父の影響があると私は思っていて
真面目に頑張り過ぎる人って、頑張らないと自分には価値がないって想いがすごくあると思うんです
そのままの自分では愛されないって思っちゃったり(私もバリバリある😅)
自分は何か欠けていると思って、頑張って外側からその穴を一生懸命埋めようとしたりね
父と母を見ていると、やっぱりそんなところがあると思うし
私もそんな無価値感や罪悪感を感じている父や母を幸せにできない、救えない自分に、やっぱり同じく無価値感を感じてしまうところがあって
↑(この幸せにできない、救えない、ということ自体が大いなる勘違いなんですけどね😅そう頭ではわかってるけど、無意識のところではがっつりそう思い込んでる💦)
罪悪感や無価値感って、本人がよほどそこに意識的でない限り、連鎖するものなのだと思います
でもね、だからといって、自分の中にある罪悪感や無価値感は両親のせいだとか、だから自分は上手くいかなくても仕方ないとか、それもやっぱり違うなって私は思うし、両親は不幸だとも思わない
私の中にあるものは、私自身の課題であって、それを取り組むのも恐らく自分で決めてきている(と本気で思ってます)
そして今、こうして向き合っているのは何故だろう?と考えてみると、やっぱり子供の存在ができたからかもしれない
おじいちゃんおばあちゃん達の親がどんな人だったかは知らないけれど、きっと似たような想いを受け継いだり、何かしら満たされなかった幼少期があったり、色々なことが連鎖していったのかもしれない
息子には、自分は堂々と愛されていい存在なんだって思ってほしいし、自分のことを大好きになってほしい、親を救えなかったなんて思ってほしくないと、親の私は勝手に思ってしまうわけです
どうせ連鎖するなら、どうせ伝染するなら、喜びや幸せや、無条件で自分は愛されているっていう気持ちだったり、そっちの方が私は広げたいなって思う
そのためにはやっぱり、自分が自分を幸せにすることなんだよね
結局行き着くところはいつも同じというか
自分を幸せにするって、自分の心を自分の愛で満たしていくことなんだよね
私自身の人生のテーマでもあるんだと思います
このブログのタイトルでもあるように
子供にこうなって欲しいって思うなら、まずは自分がそうなって、背中で伝えていかなきゃと思います
とか言って、私、自分のこと大好きになれているかと聞かれるとまだまだ怪しいのですが(^_^;)
まずはそこを認めつつ、息子にはたくさん愛してるという言葉を伝えたい、たくさん抱きしめて、不器用だけど失敗する姿もいっぱい見せて行きたいなって思う
私の大好きなカウンセラーの根本裕幸先生の本の中で、罪悪感についての本があって、その本の中に確か「無価値感や罪悪感って愛に変換できる」みたいなことが書かれていて
罪悪感が強い人ほど、愛や優しさが強い人っていつも根本先生はブログとかでも言ってるんですけど、
愛と罪悪感って、それは裏表一体のコインのような物なんだなって
自分の行動に、何か罪悪感を感じたら、その裏に隠れている愛を見つけていこうと、それを本気でやっていこうと改めて🍀
そしてその姿勢は、その意識は、間違いなく自分を愛すること、自分を幸せにすることなんだと思う😌
子供が生まれてからより一層こういった想いが強くなっているのは事実なんですが、
でもさ、「これがあーしの使命じゃー!あーしがこの連鎖を止めるんじゃ!ふんがふんが💪😤🔥(鼻息荒く)」っていう想いから、そんな意識からだと、やっぱり苦しくてプレッシャーになって、「ねばならない」に縛られるのは本末転倒なので😅
そこはサレンダー(委ねる)の意識が大事で、
“私がどうであれ、この子は自分で自分を幸せにする力を持っている”
という信頼が持てるか。
そんな意識も持ちつつ、幸せを伝染していけたらいいなという想いのもと、罪悪感ではなく、愛をベースに物事を捉えることに集中したいなーと思います
さっきから10分おきくらいに息子がグズって起きてしまって、「かーちゃん、もういい加減休みーやー😓」と言われてるように感じるので、今日はこの辺で!